見知らぬ国

 

聞こえる・・・、ざわめいた音・・・−−−
 
 
女性の高い悲鳴と、男性の低い怒号。
鉄と鉄が擦れる小さな音。
そして布のようなものを切り裂くような音。
 
すべての音が一度に続けて響き、そして唐突に消えていく・・・。
 
 
 
 
 
『もうすぐ・・・もうすぐ・・・・・・』
 
 
 
暗い声が不意に響く。
 
 
 
『・・・あと少しで、彼の人が・・・・・・』
 
 
 
まるで切望するように小さく呟く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『「逃げようとしても・・・無駄だ・・・・・・」』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
不意に一つの声がもう一つの声と重なって響き、視界が真っ赤に染め上がる。
それとほぼ同時にすべてを切り裂くような女の悲鳴が響き渡り、ひかるはやっと意識を目覚めさせた。
 
 
 
**********
 
 
 
ひかるは荒い呼吸を繰り返しながら、ただ見開かせた目で呆然と目の前を見つめていた。
そこには見慣れぬ天井があって、しかし未だひかるにはそれに対して何かを感じるほど自分を取り戻してはいなかった。
徐々に呼吸が整っていき、そこでやっと我を取り戻し始める。
いつの間にか目尻に溜まっていた涙が瞬きしたことで零れ落ち、それが頬ではなく米神の方に流れていくのに、そこでやっと自分が寝台に横たわっていることに気が付いた。
流れた涙を手で拭いながら、片手を寝台について上半身を起き上がらせる。
それでいて見回した場所が全く見覚えがないことに気が付いて、ひかるは思わず呆然となった。
 
 
ここはどこなのだろう・・・。
 
 
そんなありきたりな言葉しか頭に浮かんでこない。
自分がこの世界に来た時も混乱したが、もしかしたら今はそれ以上に混乱しているのかもしれない。
ただきょろきょろと部屋中を見渡し、どうすればいいのか途方に暮れる。
 
そこは自分に宛がわれている城での部屋と同じくらい豪華な部屋だった。
ただ翆の城は全体的に白や蒼、水色に統一されていてひかるの部屋も例外ではないのだが、この部屋は全体的に紅を基調とした色に彩られていた。
紅といっても強い色ではなくもっと淡い薄紅色が殆どだが、そのためか全体的に暖かいような感じのする部屋だった。
今までずっと正反対の色の部屋で過ごしていたひかるにとっては少しギャップが激しく感じたが、それでも綺麗な部屋には変わりない。
 
 
だが何故自分はこんな見知らぬ部屋で眠っていたのだろう・・・。
 
 
そう首を傾げて、しかしそこで不意に気を失う前の情景がフラッシュバックのように脳内に鮮やかに浮かび上がってきた。
 
 
 
夏珠と共に森の中を走る自分。
不意に開けた視界に飛び込んできた叢柴の背。
そして振り向かれた鋭い美貌と驚愕に見開かれた蒼い瞳。
叫ばれたと同時に後ろに引っ張られる感覚と強く塞がれる気道。
大きな衝撃を感じたと同時に薄れる意識。
 
そこで気を失ったのだと思い出し、ひかるは思わず両手で自分の身体を抱きしめてぶるっと小さく身震いした。
 
 
ということは、ここは自分たちを襲った山賊たちの基地ということになるのだろうか・・・。
 
 
そう考えて、しかしひかるは戸惑ったように再び周りを見回した。
どこまでも精練とされた部屋にもう一度小首を傾げる。
それでいて、山賊の基地にしてはあまりにも豪華で綺麗ではないだろうか・・・、脳内で疑問の言葉を呟いた。
 
ひかるの頭には山賊とはもっと洞窟とかあばら屋とか、そういったところを本拠地にしているようなイメージがある。
しかしここはそんなイメージとは全くつながらない場所だった。
 
 
それともこの世界の山賊は自分の世界と違って、もっとリッチなのだろうか・・・?
 
 
そんなことを考え込んでいる中、不意に小さなノックの音が響いてきてひかるは弾かれるようにして扉の方を振り返った。
ひかるが何かリアクションする前に扉がゆっくりと開かれる。
そして扉から現れた人物に、思わずひかるは目を見開かせた。
 
なんとそこに立っていたのは綺麗な女官ではないか!
 
てっきりもっと厳つい男(主に山賊)が入ってくるとばかり思っていたのに、これは予想外のことである。
しかしそれは彼女も同じだったようで、女官は呆然とこちらを見つめているひかるに驚いたように目を見開かせていた。
暫くの間、二人は見開かせた目でただ呆然と互いを見つめている。
そしてその静寂を不意に破ったのは、女官のハイテンションな高い声だった。
 
 
「お目覚めになられたのですねっ!!」
 
「うわぁっ!?」
 
 
突然大声で詰め寄られ、ひかるは思わず素っ頓狂な声を出した。
しかし女官はそんなひかるの様子に構う様子もなく、ただ感極まったように頬を赤く染めて、キラキラと光る瞳でひかるを覗き込んでくる。
 
「ああっ、本当に良かったです!なかなか目を覚まして下さらないので、わたくしどうしようかと途方に暮れておりましたの。でもこれで一安心ですわ!清蘭(ショウラン)様にもご報告できますし、この涼香(リョウカ)も肩の荷が下りたような心地がいたしますわvv」
 
そう言ってニコニコと微笑む彼女に、ひかるはついていけず呆然と見つめる。
しかしそんなひかるの様子に気づいているのかいないのか、涼香は構う様子も見せずにただどこまでもマイペースに明るく手を打った。
 
「そうだ!こうしてはいられません!清蘭様に早くお知らせしなくてはいけませんね!!」
「い、いや、ちょっと待っ・・・!!」
 
勝手に納得して勢いよく出ていこうとする彼女に、ひかるは咄嗟に手を伸ばして引き留めようとする。
しかしその声も虚しく、涼香はさっさと部屋を飛び出して行ってしまった。
行き場をなくして伸ばされた手がなんだか無性に虚しい。
 
ひかるはゆっくりと伸ばした手を引っ込めると、大きなため息をついた。
とりあえず起きるか・・・と寝台から這い出る。
それでいて、何だか妙に身体が痛いような気がして、ひかるはゆっくりと立ち上がるとグッと背に力を入れて身体を伸ばした。
背筋がピンッと伸ばされ、幾らか気分がすっきりする。
それにひかるは大きく息をつきながら、伸ばした身体をそろそろと元に戻した。
それから何とはなしに自分の身体を見下ろし、そこで初めて自分が白い着物一枚しか来ていないことに気が付いた。
この世界では寝間着として使われている白一色の単衣。
自分が今まで来ていた服は一体どこに行ったのか。
というか、その前に誰が着替えさせたのか・・・。
 
 
(・・・・・・あの涼香っていう女官さんであることを切に願う・・・。)
 
 
そう心の中でボソッと呟きながら、まずはここがどこなのか正確に知ろうと部屋を物色し始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
部屋の中をいろいろ見ていてどのくらいの時間が経ったのか・・・。
 
不意にこちらに近づいてくる足音に気が付いて、ひかるは弾かれたようにバッと顔を上げた。
手に持っていたものを慌てて元のあった場所に戻し、寝台に腰かける。
 
いつでも誰かが来てもいいように見ては戻し見ては戻しを繰り返していたので、部屋は綺麗なままだ。
後は物色していないという雰囲気を出してさえいれば気がつかれないだろう。
 
そう判断すると、ひかるは一つ深呼吸して誰が入って来てもいいように小さく身構えた。
どんどん足音が近づいてきて、この部屋の扉の前で音が止まる。
一瞬後に三回ノックオンが響き、扉がゆっくりと外側から開かれた。
 
 
そこに立っていたのは涼香を引き連れた、青白い鎧を着こんだ髪の長い一人の青年だった。
 
晴天の空を思わせるような切れ長な蒼穹の瞳。
といっても目つきが鋭いといったようなことは決してなく、長い睫毛に縁どられた目はどこまでも静かで涼やかだった。
腰よりも長く伸ばされた漆黒の髪は結われておらず、彼が動くたびにふわりと靡いて宙を舞う。
そのどこまでも美麗な姿に、ひかるは思わず状況を忘れて青年に見惚れてしまっていた。
 
 
 
「・・・気が付いたようだな」
 
不意に声をかけられ、ひかるははっと我に返る。
その声は男にしては高く、しかし女にしては低いような、本当に中性的な声だった。
その容姿も男にしては綺麗であるため、非常に性別を判断するのに迷ってしまう。
 
 
(でも、それでも男の人・・・だよね・・・?鎧も来てるし・・・・・・。)
 
 
チラッと彼が着込んでいる鎧を見やり、そう心の中で呟く。
そんなひかるに気づいているのかいないのか、青年はゆっくりと目の前まで近づいてきた。
流れるような動作で膝を折り、目線を下げて顔を覗き込んでくる。
それに思わずひかるはうっと息をつめた。
 
「・・・気分はどうだ・・・?」
「あっ、えっと・・・大丈夫、です・・・。えっと、ここは・・・その・・・どこ、ですか・・・・・・?」
 
青年の言葉に戸惑いながらも頷き、それでいて恐る恐るずっと気になっていたことを尋ねる。
それに青年は少し考える素振りを見せてから再びひかるを見やった。
 
「・・・君は、おそらく他国から来たのだろうな。ならば、まずはここは屑(セツ)という名の国だ。そしてここはその都である郷極(キョウゴク)にある王城、朱汪城(シュオウジョウ)」
「・・・・・・屑国の郷極・・・、・・・朱汪城・・・」
 
青年に言われた言葉を繰り返しながら考え込む。
そういえば屑国という国の名前は螢寡の授業で何度か聞いたことがあるような気がした。
 
君主も三代と続いた大国で、今は風抄(フウショウ)とかいう年若い男が君主となっているとか・・・。
確か翆国とは隣同士に当たる国だ。
 
 
 
「・・・君が山賊に連れて行かれている最中、偶然我が軍がそれを見つけ急遽救出したのだ・・・」
 
 
知らず頭の中で螢寡に習った知識を引っ張り出している中、不意に青年の言葉がそう説明してくる。
それにひかるはハッと顔を上げて青年を見上げると、無意識にピンッと背筋を伸ばした。
それでは自分は彼らに助けられたのか・・・と心の中で納得し、深々と頭を下げる。
 
「あの、ありがとうございました」
「・・・いや。それよりも、君はどこの国ものだ?もし可能ならば国境付近まで送ることもできよう」
「ほ、本当ですかっ!?」
 
その願ってもない言葉に、ひかるは思わず目を輝かせて声を上げた。
正直、滅多に城から出たことがなかったから一人外にほっぽかれたら大変なことになっていた。
幾らお金を渡されたりしても、自分一人ではとても翆国の城まで辿りつけないだろう。
そのためひかるは喜びを前面に出しながら勢いよく声を上げた。
 
 
「私、翆国から来ました!水崎ひかるです!」
 
 
そう言ってひかるは満面の笑みを浮かべて深々と頭を下げた。

 

 

 

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