守護星

 

城下で一騒動を起こしてから一週間。
 
ひかるはただ今ひたすらに頭を悩ませていた。
 
 
異世界の住人であるひかるにとって、ここはまさに右も左も分からぬ見知の世界。
そんな彼女に、三日ほど前からこの世界のことを教えるべく先生がついたのである。
 
その先生とは、なんとあの気弱そうな青年、螢寡。
 
お忘れの方も多いとは思うが、この少年はこの翆国の星詠み見習いの青年である。
一見女にしか見えないこの青年は、いつもおどおどしていて見ているこちらが心配になってしまうほどなのだが・・・。
 
 
 
最初、この螢寡にものを教わるのだと聞いて内心『大丈夫なのか・・・?』と思ってしまったのは秘密である。
けれど聞くところによれば、代々昔から異世界からきた“五つ星の神子”にこの世界のことを教え、その世話を請け負うのはその国にいる星詠みの役目なのだという。
 
そこで一瞬叢柴の顔が頭を過ぎったが、それはすぐさま頭を激しく振って脳内から吹き飛ばした。
 
 
あの人にものを教わるなんてとんでもない!
そうにでもなった暁には、きっと四六時中あの威圧感のある鋭い瞳に凝視され続けるのだろう。
そんなこと自分に絶えられるはずがない。
一時間・・・いや、三十分でも無理だ。
一日ともたずに何度も脱走するはめになること請け合いである。
 
それならばまだ螢寡の方が精神的にもダメージは少ないし、のんびりまったりできそうである。
しかし、その考えが間違いだったと思い知ることになろうとはその時のひかるには思ってもみなかった。
 
 
なんとこの螢寡、ものすごくスパルタなのである!
 
 
いつものおどおどした気配はどこへやら、勉強の時間になると途端に目の色をかえる。
いや、その全体の雰囲気さえも一瞬でがらっと変わってしまう。
 
そうは言っても表情はそんなにかわらないのだ。
途端にきりっとした顔立ちになるとか、そういったことは決してない。
けれどなんというか・・・全体的に怖いのである。
始終優しい笑みを浮かべ、丁寧にこちらに教えてくれる。
しかし、前教えてもらったことをうっかりまた聞こうものなら、笑顔のブリザードが激しく襲ってくるのである。
 
最初にそんな目に合った時は恐怖とショックとで、その日一日は呆然と心ここにあらずで過ごしてしまったほどだ。
それからは螢寡が怖くて勉強が終わってもすぐ復習したりとしているのだが、実をいうとひかる、勉強は大の苦手なのである。
机に向かっているよりは周りを走り回る方が好きだし性に合っている。
典型的にデスクワークが苦手、あるいは嫌いなタイプなのだ。
そんな彼女にとって、こんな毎日はひどくストレスがたまる。
 
 
 
 
「あー、もう!こんなんじゃあ、いつか私、死んじゃう!」
 
 
仕舞いには耐え切れずに目の前の卓をバンッと強く両手で叩き付けた。
そのまま勢いよく立ち上がる。
 
 
「ずっと部屋にいるからこんな風にストレスが溜まるのよ!散歩しよう!!」
 
 
本当は城内でもひかるは未だあまり出てはいけないのだが、もう我慢の限界である。
 
苦手な勉強を強制され、外にも出してもらえない。
こんなことを毎日続けていては本当にストレスで死んでしまう!
 
 
ひかるは心を決めると部屋の扉ではなく小さな窓へと近づいた。
そのまま窓を押し開け、身を乗り出す。
 
 
 
ひかるは小さくにやっと笑うと、外へと大きく飛び出すのだった。
 
 
 
**********
 
 
 
「まったく・・・あれにも困ったものだ」
 
一週間に一回は報告されるひかるの脱走報告に叢柴は深いため息をつきながら呟いた。
それに側で聞いていた汐燕が苦笑を浮かべる。
 
 
「まあ、気持ちは分からなくもないけどな。ああも毎日勉学で外にも出られないとなれば、誰でも逃げたくなるものさ」
 
「・・・お前はどちらの味方だ」
 
 
ひかるをフォローする汐燕の言葉に叢柴が不機嫌そうに睨み付けてくる。
それになおも苦笑しながら、汐燕は何とはなしに窓から外を見つめた。
 
外では和やかな風が吹き、空も気持ちよさそうなほど青く澄み切っている。
これは誰でも外に出たくなるような気持ちになってしまう。
 
汐燕は小さく一つ息をつくと、未だこちらを見ている叢柴を振り返った。
 
 
 
「・・・なら、そろそろ“守護星”をつけるか?」
「・・・・・・・・・」
 
「お前はひかるが危険に陥らないか心配なんだろう?確かに彼女が“五つ星の神子”と正式に決まった今、他国はそりゃあもう焦っているだろうからな」
 
 
 
 
 
この世界には“五つ星の神子”に選ばれた国が天を統べる五つの国の一つとなれるという言い伝えがある。
それは単なる言葉だけのものではなく、まぎれもない事実。
だからこそ“五つ星の神子”が現れたとなれば、多くの国々はなんとしても“五つ星の神子”を手に入れようとするだろう。
それがどんなに危険な、強引な方法であろうとも、国によっては手段を選ばないものもいる。
 
そもそも“五つ星の神子”が陰陽の力を持つのも、そういった輩から自らを守るためなのだ。
未だ陰陽の力が目覚めていないひかるが他国の者に捕まった場合、何をされるか分かったものではない。
 
 
 
「・・・お前のことだ、もう“守護星”にする奴は決めているんだろう?」
 
「・・・・・・・・・」
 
 
疑問形ではなく確認するように問うてくる汐燕に叢柴は小さく顔を歪めて押し黙った。
その表情には肯定の色も否定の色も浮かばれていない。
 
そんな叢柴の様子に汐燕はやれやれとばかりに今度は大きくため息をつくのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・・・・“守護星”?」
 
 
突然部屋に尋ねてきた叢柴、汐燕、そして螢寡にひかるは小首を傾げながらも三人を招き入れた。
そして唐突に飛び出した聞きなれぬ言葉。
 
今度は大きく首を傾げて鸚鵡返しに尋ねるひかるに螢寡が三人を代表して説明するために口を開いた。
 
 
「“守護星”というのは“五つ星の神子”をお守りする者のことを言います。その数は決まっておらず、神子によっては一人しかいなかった者もいますし、逆に十人以上いた者もいたそうです。本来は“星詠み”が一番に“守護星”となって神子様をお守りするのですが・・・・・・」
 
「今現在正式な“星詠み”である夙破は放浪中、ここにいる螢寡もまだ見習いだからお前を守るには未だ力が不十分だ。だから代わりにこちらで“守護星”を一人決めておこうと思ってな」
 
 
螢寡の言葉を引き継いでそう言う汐燕にひかるは『へぇ〜』と思いながら頷いた。
 
まあ早い話し、自分に護衛が一人つくという話しなのだろう。
 
そこまで考えてひかるは小さく顔をしかめた。
 
 
護衛というからには、その“守護星”とやらはそれはもう四六時中自分と行動を共にするのだろう。
それはつまり、一人でいることができないということ。
そしてまた、自分に監視の目がつくということでもある。
 
確かに、ここ最近自分でも脱走回数が増えてきたような気がしていた。
そしてそんな時に舞い込んできた今の話・・・。
 
どう考えてもタイミングが良すぎるような気がしてならない。
 
 
 
もしかしてそれを止めるために“守護星”をつけるとか言い出したのだろうか・・・、とばかりにひかるはずっと黙っている叢柴をチラッと見やった。
その視線に気がついたのか叢柴もひかるに目を向けてくる。
 
二人の目が合った瞬間、確かに叢柴の目がふっと皮肉な笑みを浮かべた。
それにひかるは確信した。
 
 
これはまさに監視役をつけるという意味だ!
 
 
そんなの冗談じゃないとばかりに慌てて口を開く。
 
 
 
「そ、そんな“守護星”だなんて、大丈夫ですよ!第一、私は城の外にも出れないのに!守るとかそんな・・・」
「分かってないな〜、ひかる」
 
何とか反論しようとするひかるに汐燕は甘い甘い、とばかりに悪戯っぽく笑って見せた。
それにひかるは不服そうに汐燕を見やる。
 
「・・・どういう意味ですか?」
「ひかる、間者って知ってるか?」
「間者・・・・・・、スパイのこと?」
「スパイ?」
「えっと・・・、密偵とか・・・その・・・敵のとこに侵入して人知れず情報を集めたりする・・・・・・」
「まっ、そんなものだ」
 
ひかるの説明に頷く汐燕にひかるは首を傾げた。
いったいそれが何だというのだろう・・・?
 
 
「いくら外にはでなくても、城にどこかの間者がいるとも限らない。間者は命令があれば情報収集だけでなく暗殺なども手がける」
「・・・・・・暗殺・・・」
 
「つまり、城も完全に安全だとは言えないんだよ。お前はまだ陰陽の力が目覚めていない。そんな状態で間者に襲われたりしたら大変だろう?」
 
 
言い聞かせるように話す汐燕にひかるはさっと顔色を変えた。
城の中が危険だなどと、今まで少しも考えたことがなかったのだ。
 
外が危険だということは分かっていた。
けれど城は、いうなれば自分の家の中も同じだ。
 
そこが危ないと言われ、一気に大きな不安にかられる。
青白い顔のまま自分の思考の中へと入っていくひかるに、今までずっと黙っていた叢柴がゆっくりと口を開いた。
 
 
「“守護星”がいれば、何かあってもその者がお前を守るだろう。お前は何も心配することはない」
「で、でも・・・」
「“守護星”がいると分かれば、間者どもも無闇に手を出そうとは思わないだろう。“守護星”がつくことで、お前は二重の意味で守られることになる。この意味が分かるか?」
「は、い・・・」
 
 
叢柴の静かな声が胸に染み渡ってくる。
それにつれ今まで感じていた恐怖が嘘のように引いていき、ひかるは小さく息をついた。
 
未だ“守護星”というものがつくというのには抵抗があるが、けれど自分を守る術がない以上、彼らの言葉に従う他に自分には道がない。
 
 
ひかるは目の前の三人を見つめ、静かに頭を下げた。
 
 
 
「・・・よろしく、お願いします・・・・・・」
 
「・・・“守護星”となる者は明日から寄越す。それまで、大人しくしておくのだな」
 
 
 
そんな言葉と共に叢柴は軽く、一回だけ下げられたひかるの頭を無造作に撫でるのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それから次の日。
“守護星”として現れた人物に、ひかるは思わず驚きで目を見開かせた。
 
 
「あなたは・・・」
 
「またお会いしましたね・・・神子様・・・・・・」
 
 
 
そこにいたのは城下に行った際に出会った青年。
 
青年はあの時と同じように紫の衣を纏い、美しい金の髪を軽く一つに結っていた。
眼帯で左眼しか見ることのできない水色の瞳が、ひかるを見つめて優しく細められる。
それに小さく息をのむ中、青年はひかるの前で片膝を降り、深々と頭を下げた。
 
 
「此度、恐れ多くも“守護星”となるよう仰せつかりました、魁雫と申します。・・・なにとぞ、よろしくお願いいたします」
 
 
頭を下げたまま丁寧にそう言う魁雫に、ひかるは暫く呆然とし、そしてはっと我に返って慌てて声をかけた。
 
 
「こちらこそよろしくお願いします。・・・っていうか、立って下さい、立って下さい!お願いだからそんなに畏まらないでっ!!」
 
 
本当にそういうの苦手なんだから!と心の中で叫びながら半場無理やり魁雫を立ち上がらせる。
少し戸惑ったようにしながらも大人しく立ち上がる魁雫に、改めてひかるはにっこりと笑った。
 
 
「これからお願いしますね、魁雫さん!」
 
 
そんなひかるに魁雫は驚いたような顔をして・・・。
次にはその顔には柔らかな微笑が浮かばれていた。
 
 
 
**********
 
 
 
「あ〜あっ、何だったら私が“守護星”になったのにな〜」
 
 
穏やかな昼下がり。
 
午後のお茶を楽しみながら急に椿華がそう声をあげた。
それに同じ席についていた夏珠とひかるがほぼ同時に椿華を見やる。
 
 
「それは無理だと思うよ〜」
「・・・何でよ」
 
のほほんと言う夏珠に不満そうに椿華が尋ねる。
それに夏珠はにっこりと笑って小首を傾げて見せた。
 
 
「だって椿華ちゃん、あの城下の時、自分がひかるちゃんを守るって言ってたのに危ない目に合わせちゃったじゃない。絶対叢柴様が許すわけないって」
 
「・・・ああ、あれ・・・・・。そっか、あの王子さんが許すわけないわよね。・・・・・・・・・ちっ」
 
 
 
 
苛々しげに最後に鋭く舌打ちする椿華に思わず軽く冷や汗が流れる。
そんな中、隣の部屋で待機していたはずの魁雫がこちらに近づいて来るのが見えた。
 
それにひかるはもちろん、椿華や夏珠も不思議そうに小首を傾げる。
 
 
 
「どうしたんですか、魁雫さん?」
 
「・・・実は螢寡様が勉学の時間だと仰っていらしております」
「えっ、何で!今日の授業はもう終わったはずなのに!!」
「それが・・・今日の進み具合が悪かったとのことで・・・・・・」
 
 
非常に言い辛そうにしながらもそう言う魁雫に、ひかるはざっと顔を青ざめさせた。
 
 
一日に二回も授業だなんて冗談じゃない!!
 
 
心の中でそう叫ぶひかるに、その心情を読み取ったのか、不意に椿華と夏珠が立ち上がった。
そのままつかつかとひかるの側に近づき、それぞれ両側の腕に腕を絡ませる。
 
 
 
「椿華?夏珠?」
 
 
その二人の行動の意味が分からず名を呼ぶひかる。
そして同じように怪訝そうに二人を見つめている魁雫に、椿華と夏珠はそれはもう清々しい笑みを浮かべてみせた。
 
 
 
「じゃあ、あたしたちはこれから逃げるから。魁雫さん、後はよろしくお願いします」
「仕える主人を主人の嫌なことから守るのも立派な“守護星”の仕事!というわけで・・・後のことは頼むわ、魁雫!」
 
「はっ!?ちょ、ちょっとお待ちを!」
 
 
 
「「待てと言われて待つ馬鹿はいないってね!!」」
 
「うきゃあっ!!?」
 
 
 
 
ほぼ同時に走り出す椿華と夏珠に、それに引きずられて同じように走り出すひかる。
そしてそれを慌てて追いかける魁雫。
 
 
 
 
 
 
 
 
暖かな昼下がり。
 
椿華と夏珠の楽しそうな声とひかるの小さな悲鳴、そして魁雫の慌てた声が響き渡る。

 

 

 

BACK          NEXT

 

 

『五つ星奇伝』Back

 

inserted by FC2 system